鏡の法則

鏡の法則とは

「鏡の法則」とは、「私たちの人生の現実は、私たちの心の中を映し出す鏡であるという法則です。
つまり、
自分の人生に起こる問題の原因は、すべて自分自身の中にある
という考え方です。

例えば、鏡を見た時に、髪が乱れていたとします。
でも、鏡の中 に手を突っ込んで、髪を直すことはできません。
髪を直すには、自分自身 の髪に手をやる必要があります。
しかし、鏡の中の髪を直そうと頑張る人がとても多いのが現実です。

・子は親の心の鏡
・環境は自分の心の鏡
という感じです。

認知不協和

真円と、少し欠けている円、どっちの円に目がいきますか?

人間の目は、欠けている円、特に欠けた部分 に目がいきます。

認知不協和という習性です。
欠けている部分が気持ち悪いと感じるのです。

元々、備わっている美意識の成せる業かもしれません。

この習性は、悲しいかな他人を観るときにも働いてしまいます。
他人の足りない箇所駄目な箇所 に目がいくのです。
人の習性です。

ですから、意図して「良い箇所」「好ましい部分」を観る をつける必要があります。
でなければ、人の粗(あら)ばかり探しては不平不満を言うだけの人間になってしまいます。

これはとても哀しいことです。

投影

他人の好きな箇所は、自分の認識している自分の好きな箇所です。
他人の嫌いな箇所も、自分の認識している自分の嫌いな箇所です。

他人の好きな箇所も嫌いな箇所も全て、他人という鏡を通して観る自分自身の良い箇所、嫌な箇所なのです。

これを心理学用語で投影と言います。

他人のあそこが嫌いと言ってみても、実は、他人に投影した自分の嫌な箇所が嫌い、と言っているようなものです。
人の悪口は、自分の悪口でもあります。
同族嫌悪とも言いますね。

逆を言えば、自分に関して好きだと認識していない箇所については、他人が持っていても認識できません。

ですから、自分の好きな箇所、良いと思う箇所をいっぱい探しましょう。
そうすれば、他人の中にもいっぱい好きになれる箇所を発見することになります。

私には顔や性格の似ている双子の兄がいます。
思春期の頃、兄に対して認知不協和と投影を繰り返し、相手を異常に否定していました。

それが自分を否定していることと同じだと気づいたのは大学二年生の頃でした。

とても腑に落ちましたよ(;´▽`A``

人は完璧にして不完全な存在

人は誰もが例外なく、全知全能の完璧な魂を持っています。
私たちは、初源の光から分かれた存在、つまり、リトルゴッドです。

しかしながら、この世に来るまでの過程で、自身のその完璧な魂に何重ものベールが重なりました。
そのベールが純粋な光を弱く鈍くしています。

人は完璧な存在なれど、不完全な存在である、というのはこういうことです。
ある人はこれを「人からエゴを抜いた存在が神である」と表現しました。

私たちは何回も転生輪廻を繰り返しながら、完全さ(純粋な光)を取り戻す修行の旅をしているのです。

皆、修行中の身です。
自分にも足りないところがいっぱいあるように、人にもまた、足りない箇所があるのだと、知りましょう。


人の良いところを観てあげましょう、というのは、
自分の良さを発見し、良さを育て取り戻す旅でもあります。

積極的に良い部分を見つけて自分と他人のに(良い部分)にお水をあげてを咲かせましょう。
いろんな花をたくさん咲かせた者勝ちです!


以上が「鏡の法則」です。

人は鏡、
特に近しい間柄の人である、親、子、兄弟、姉妹、夫婦はピカピカ光った自分を赤裸々に写してくれる鏡です。